現代は、「効率よく」「時間を無駄にせず」「コスパ、タイパ」といった言葉がどこに行っても聞こえてくる時代です。
人類が少ないリソースで欲しい情報に辿り着くようになった効能の裏に、セレンディピティによる思わぬ発見が過小評価されていっている時代の流れも感じます。
※余談ですが、セレンディピティの語源は「セレンディップの三人の王子」という童話に由来しているそうです。(知らなかった)
三人の王子が旅をしながら、探していなかったものを偶然に発見するという話だそう。
効率を追いかけすぎるがゆえの弊害
ぼくの場合例えばなにか?
パッと思いつくことはSNSアルゴリズムによる弊害が思い付きます。
基本的に今ある主要SNSにはとても素晴らしいアルゴリズムが搭載されているので、自分の趣味嗜好に合った情報しか流れてきません。
自分が情報を選択しているのではなく、アルゴリズムというベルトコンベアに自分がつままれて流されてる感覚があります。
欲しい情報が完全に決まっている場合、こういった仕組みは非常に便利です。
ただ、ぼくは基本的にのろのろしている性格なので、内省のような自分を見つめ直す時はゆっくり物事を考えないと納得する答えに行き着くことが少ないです。
瞬発的にその一瞬で考えが降ってくるというよりは、人との会話や普段見ているSNS、webメディアや本、旅行先に感じたことなど、あらゆる情報が混ざり合って散らばっていっていくなか、何かの拍子にインプットした一言によって全てが集結して考えがまとまる感覚がよくあります。
これは効率を最優先したアルゴリズムからのインプットだけでは到底辿り着ける自信がないです。(できる人たちはまじですごい。)
全てじゃないけど偶発的に発生するセレンディピティのみで人生が左右されるという感覚さえあります。
セレンディピティの過小評価
ただし、今は効率性が非常に重視される時代です。
毎日みんな忙しく、何をするにも時間がない。
上司にキャリアを相談するときはできるだけ効率良く確率性が高いロジカルな計画を提出しなければ納得してもらえないし、教育現場では決められた答えをどれだけ効率良く導き出すかが問われるし、旅行のパッケージはいかに短い時間で効率良く観光地を回れるか?というものばかり推されるし。
効率性を重視することで享受する恩恵も多々ありつつ、人生全体で見るとそれのみで埋めると偶発的な出会いを取りこぼしてしまうもったいなさも感じます。
けど、なんとなくそんな気はするけど偶発的な出会いは計画的に創出できないのが厄介です。
何が言いたいかというと
ぼくにとっては本を読むことがその点の最強ツールです。
ある程度計画的にセレンディピティを生み出すきっかけがつくれるツールです。
どのメディアと比較しても間違いなく情報取得効率性の低い媒体だけど、場合によっては最も得たものの価値が大きくなることもあります。
けどそれが今すぐか、数年後か、数十年後かは分からないというのがメディアとしての本の面白さだと思います。この偶発性を楽しむドキドキ感をたった1,000円2,000円で買えるのだからかなりお得じゃないでしょうか?
だらだらよく分からない文章になってきましたが、現代人は効率効率と言ってるだけじゃなくて、もっと積極的に無駄な(と思えるような)時間を取り入れていくと違った角度から人生楽しめるようになるんじゃないかなーという自分への自戒でした。
本はいいゾ