ゴジラ-1.0の感想

ゴジラ-1.0の感想

※すべて個人的な感想です

映画タイトル

  • ゴジラ-1.0
  • 監督・脚本
    • 山崎貴

あらすじ(ネタバレ注意)

  • 元特攻兵の主人公や戦後疲弊しきった日本に、さらなる災害として「ゴジラ」が絶望的な破壊を広げる物語。単なる怪獣映画ではなくヒューマンドラマとしてのテーマが大きいかも。しかし他のゴジラ作品に対してもゴジラの登場シーンの多さや映像のクオリティ、インパクトは終始ワクワクする
  • 舞台は戦後の日本。特攻隊として出兵していた主人公の敷島浩一は、特攻から逃げ出し日本に帰還。しかし、「元特攻隊」として「帰還してしまった」敷島はPTSDとサバイバーズ・ギルト(自分だけ生き残ってしまった罪悪感)に日々悩まされる。さらに戦後の日本をゴジラが襲う。 そんななかでも、新たな仕事仲間として出会った機雷駆除チームのメンバーや連れ子を抱えた典子と出会い、少しずつ「まだ終わっていない自分の中の戦争」にケリをつけるため覚悟を決め、ゴジラに立ち向かっていく。

考察、感じたこと、考えたこと(めっちゃネタバレ注意)

1. ゴジラは人の罪の象徴であり、戒めが具現化したものである

  • 今作のゴジラは人間の罪の象徴だった気がする。罪のない人たちが路頭に迷い死んでいく戦争を引き起こした人間を戒めるため、ゴジラが現れたのではないか。
    • 特に戦後復興中の、これ以上の絶望があるのかくらいのタイミングでゴジラが登場したのでまさしく人が引き起こした災害だった
    • もうさすがにこれは無理やろーというくらい復興直後の銀座がめちゃくちゃにされる。あれはつらい

2. 「何がなんでも生き延びなければならない」というテーマ

  • 典子の、
生き残った人間はきちんと生きていくべきです
  • 橘の、
生きろ
  • 野田の、
犠牲者ゼロでいきたい。未来を生きる為の戦いなんです

など、死ぬことが正義ではなくどんな手を使ってでも生き延びることこそが重要であるという今作の「生」というテーマが浮かび上がってくる。

  • 特に橘に関しては、映画の冒頭で敷島がゴジラを狙撃しなかったため仲間の整備兵を何人も失っており、終始敷島への怒りを見せる。それでも最後のゴジラ討伐戦ではあの敷島に対して「必ず生きろ」と言い放つ。
  • 永遠のゼロを手がけた山崎貴の作品でもあるので、とことん生きることに固執する重要さを描いている
  • 勝手な私見だが、最後敷島がゴジラを空撃した際、特攻で敷島が死んでいたらゴジラは倒れなかったのではないか。あくまで敷島は死なないという選択をしたうえで攻撃したからこそゴジラは倒れたと思う。だからこそ、最後の市民たちのゴジラへの敬礼があると思う。戒めをくぐり抜けた証として。

3. 原子力の具現化としてのゴジラ

  • 1で述べたように今作のゴジラは罪の象徴のようだったが、同時に原子力、核兵器を具現化した姿でもあった。特に、銀座がゴジラの熱戦で破壊された後に「黒い雨」が降り注ぐシーンがあるが、明らかに原爆投下後の広島を示唆のようだった。
  • 核兵器がいかに人間を苦しめるか強調する狙いとしては十分なシーンだったのではないか

4. 地域コミュニティの重要性

  • 隣人の澄子さんが何よりヒーロー。戦争で自分以外の家族を全て失い、最初は戦争を引き起こした原因として、兵隊である敷島に憎しみを見せ罵倒する。
  • しかし、最終的には赤ん坊の世話から敷島たちのサポートまで、「困ったときはお互い様」と言って見返りナシで助ける。その他採取討伐作戦時の民間の団結など(ちょっと軽すぎたので個人的にはもう少し人間ドラマを見たかったが)。
  • 地方出身の自分からすると、大規模な都市化によってこういった素晴らしい地域コミュニティが失われつつあるのは悲しい

5. ゴジラが再生しているであろう最後のシーン

  • 最後、倒れたはずのゴジラが海中で自己再生しているようなシーンで映画は終わりとなった。
  • あれは、人間がまた醜さを見せたときにいつでもゴジラが具現化し戒めに来るぞということを表したのではないか?
    • 戦後直後にゴジラが現れたのも多分そう。

おまけ

  • 映画が終わった後、隣の4,5歳くらいの女の子が落としたポップコーンを全て拾ってから帰っていた。大きくなったらあんな女の子になろう。